〒034-0003
青森県十和田市元町東2丁目2-25
TEL 0176-23-9126
FAX 0176-23-9167
お問い合わせはこちら
当サイトの価格表示は
すべて税込みです



お問い合わせ
南八甲田山の旧県道 №2
2007年06月25日
1991年に標高3000mのアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツィ谷で見つかった、約5300年前の男性のミイラ、アイスマン「エッツィ」が氷河の中から発見された。
約5300年前の男である。
一方、青森県には三内丸山遺跡という縄文時代前期から中期(約5,500年前~4,000年前)の大集落跡の遺跡が見つかった。
歴史好きの自分としてはどちらも男のロマンを感じさせた。
特に、アルプスで発見された「アイスマン」と三内丸山遺跡と年代的に同時代だと思うとなおさらだ。

そう思いながら、南八甲田山の登山道(旧県道)にある石垣や旧矢櫃橋、ヒューム管などに自然に生えた木々が生い茂り、自分にとっては遺跡のように見えた。
軍事目的?、単なる生活道路?、観光道路?どうして廃道になったのか?
不思議でしょうがなかった。
この県道を造った時代の背景はなんだったのか?などを思いながら、旧県道と出会ってから25年ものの歳月が流れた。

今年の3月、店番をしていたときである。
「店長~、ちゃんと本棚掃除してんだろうなぁ~」と本棚をチェックしていた。
本棚には数冊の厚い参考資料がある。
その資料の中に薄い茶色の一冊の本というか参考資料というか記録が書いてある本が立ててあり、目にとまった。
「なんじゃ、こりゃ~」と、思い引き出して題名を見た。
「南八甲田縦走路(猿倉温泉~御鼻部山-俗称旧県道-)」????
???????・・・・・・・。
「んッ!?・・・・・」「ん・・ん・・・・」と。
1ページを開け、読んだ・・・・・・。
「・・・・・・・ ・・・・・・」
「おぉ~ッ!」と、目を丸くし、食いついて読んだ。
店番どころではなかった。
25年間不思議に思っていた、南八甲田山の旧県道についての調査研究本だった・・・。
「へぇ~~・・・・」と、店番忘れて没頭した。
内容は、南八甲田山の旧県道はどのようにして造られたのか、というもの。
題名は「南八甲田縦走路(猿倉温泉~御鼻部山-俗称旧県道-)」。
*写真参照
著者は、青森市山岳団体たかじょの会のNさん。
Nさんが猿倉温泉~御鼻部山間の旧県道の謎に迫った調査本だった。
まず、本の1ページを開くと「はじめに」とある。
ここを少し抜粋して書きます。
「南八甲田山に登山して誰もが疑問にお持っていることの一つに「石垣」や「コンクリート橋」や「ヒューム管」の存在ではないでしょうか。
私も・・・・・・・。
このルートは軍事的目的を持った軍用道路として戦前の昭和8~9年とか11年とかに造られたのだと登山者の間には口伝えに知られて来たのでありました。
それで、一体全体本当のところはどうなんだろうと思いこれまでの登山案内書、文献、新聞記事を手に次第に記述しました・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
そして、我々青森県の山岳愛好者として幾分かの知識になればと思います。」
と書いてあった。
「なるほど~、やはり誰もが疑問に思っていたのか!」と、唾を飲み込みながら何度も何度も読み返した。
分かったことは、この旧県道にあたって、1931年から1935年までの大凶作と農家の身売り話し、十和田湖国立公園に伴う南八甲田の観光開発、自動車観光道路の建設、それに携わってきた人々、奥入瀬⇒松見の滝⇒蔦沼までの自動車観光道路計画、十和田湖周辺に五路線新設にともなう自然景観などの保護による廃止、などなど当時の時代背景があった。
小笠原松次郎の話によると「あれでよく完工検査が通ったと思うほどの道路だった。大きい玉石がゴロゴロしており、とても自動車道と呼べるものではない」状況だったとか。
また、車も完工検査の検査官の車が通っただけで廃止されたようだ、など。
読み終わり、Nさんが書いている通り十和田湖を中心とした自動車観光道路による観光収入に期待をよせ、建設が盛んに求められていた時代だったんだなぁ~と。

もし仮に、この南八甲田山の旧県道や奥入瀬⇒松見の滝⇒蔦沼までの自動車観光道路があったとしたら、どうなっていたのであろうか?
「思う存分、テレマークスキーを楽しめた!」
「思う存分、高山植物など南八甲田を満喫できた!」
と考えると、南八甲田山は大分変わっていただろうなぁ~。
・・・・・・・・・。
と、日記には書いておこう。

続く・・・・・・。




戻る
Copyright(c)2005 ALPHA TRADING. All Rights Reserved.
このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。