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南八甲田山の旧県道 №11
2007年11月28日
忙しい、毎日・・・。
日記の更新も忘れていた・・・。
やっと、日記に記載できるようになったし、その忙しい隙間を縫って、昭和初期の歴史を探っていた。
それは、11月4日(日)、御鼻部山から猿倉温泉まで約24kmの縦走を行なったときのことである。
旧県道のソデカ谷地と前谷地の間にあったコケが生えたヒューム管と松森山のカーブに石垣が印象ぶかかった。
普段、猿倉温泉から櫛ヶ峰まで何度となく見てきた光景なのに、なぜかこの場所にあったヒューム管と石垣が異常なほど目に焼きついた。
では、この旧県道はどのように作られたのか?
その時の、時代背景は?
そのことについては、山岳団体たかじょの会のNさんが「南八甲田中走路」という本の中に書いている。
これを読むと、旧県道のおおよその成り行きがわかった。

そこで、自分的に旧県道が出来上がった当時の時代背景をもっと調べてみることにした。
が、大変だった・・・。
この時代は、一言で言い表せない深い深い時代で、これが元で第二次世界大戦や太平洋戦争に突入した経緯がありそうだ。
ありそうだというより、あったと言ったほうがいいのでは。

で、南八甲田山の旧県道(御鼻部山⇔猿倉温泉)が出来るまでの経緯は、東北の凶作、農家の小作制度、農村救済事業、娘身売り、十和田八幡平国立公園制定による観光資源開発、雇用問題、県の政治家、当時の青森県知事などなど、いろんなことが絡み、複雑な時代背景があった。
その青森県の時代背景を言わんとするのが、写真にあるコケが生えてたヒューム管である。
このヒューム管こそが、旧県道が作られた当時の時代背景を解き明かす鍵ではないかと思った。
では、その時代とは、何か?

時代は、昭和初期。
昭和初期と言うと、アメリカでの株式大暴落に端を発した「世界恐慌」による余波が世界各国をめぐらせた時代で、日本国内では、第一次大戦後の恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌(昭和恐慌)によって弱体化していた日本経済は世界恐慌発生とほぼ同時に行った金解禁と生糸(原料の繭価格が、前年の半値以下に大暴落)などの輸出が落ち危機的状況に陥る。また、株の暴落により都市部では多くの会社が倒産し失業者があふれた。農作物は売れ行きが落ち価格が低下(米価も半値近くまで下落して、560万農家の収入が一挙に半減して大きな打撃を受けた。)、冷害・凶作のために疲弊した農村では娘を売る身売りや欠食児童が急増して社会問題化。生活できなくなり大陸へ渡る人々も増えた。(ウィキペディアフリー百貨辞典から+α)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%81%90%E6%85%8C
また、「十五年戦争」の発端となった、中国への侵略戦争「満州事変」が昭和6年に起り、この年は、東北地方は凶作となった。
昭和8年、三陸の津波により死亡行方不明者約3,000人。
昭和9年、明治以来の記録的な大凶作に襲われ、さらに室戸台風(死者3,000人余り)による自然災害によって東北地方は想像を絶する飢餓状態であった。
その中で、農村救済事業が始まった、ということになる。
(この農村救済事業の中に、南八甲田山の旧県道(御鼻部山⇔猿倉温泉)も含まれていた。)
が、当時の東北の凶作とはどのようなものであったのか。
その時、農家は?
いろいろ、面白いのが分かってきた。
いやぁ~、青森県の歴史って面白いなぁ~。
と、部分的に分けて記載していこう。
と、日記には書いていこう。



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