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南八甲田山の旧県道 №12 (東北の大凶作)
2007年12月04日
南八甲田山旧県道(御鼻部山⇔猿倉温泉)の農村救済工事となった背景は、東北の大凶作があった。
前回の日記に「部分的に記載することに」と記載したが、資料が膨大だった・・・。
目玉と頭がおかしくなったし、昭和初期の「東北の大凶作」は創造を絶した・・・。
では、「東北の大凶作」とはなんだったのか・・・。
沢山あったが、一部記載することにした。
まず、東北ではヤマセとの関わりが大きい。
大凶作は、このヤマセの影響が大きいかったようなので、まずはこれから記載していってみよ~っと。

ヤマセは、初夏から夏にかけて吹く北東の風のことで、オホーツク海高気圧が日本列島に張り出すと,北海道から関東までの大平洋側では冷たく湿った北東気流が吹きつけ、霧に覆われ,冷たい雨を降らせる。
長く続くと、異常な低温に覆われるだけではなく、冷気のために、野菜、果実、稲などの農作物の成長を妨げられて冷害、不作、凶作の原因となっていた。
(言語・ヤマセ参考は:http://tohoku.naro.affrc.go.jp/reigai/zusetu/kisyo/yamase.html)
凶作の年は、必ず山瀬が吹き、霧と長雨の影響で日照時間が少なくなり、稲の生育に多大な影響をもたらしたようだ。
以前、日記にも書いたが昭和24年、「田中稔」が「藤坂5号」という「奇跡の稲」が誕生して、戦後の日本が食糧危機を脱出できたといわれている。
それまで昔から、このヤマセによって東北の人々は泣かされてきたのであった。
でも、「藤坂5号」といわずとも、今も泣かされているのが現状・・・。

農家と天候状況はというと、ある書物には昭和9年の凶作のときのことが書かれてあった。
「昭和9年の早春は、寒さのうえ雪が多く前年暮れから積もった雪が解けなかった・・・・。
・・・、4月30日から5月1日にかけ季節外れの雪降りとなり、1尺以上積もる大雪となった・・・。
天候が回復して、その雪も消えたかと思うと、四日と五日、今度は太陽が異常な赤みを帯びて空は黄砂に覆われた・・・。
5月下旬になると、十日のうち、雨の無い日は三日だけで、雨、暴風、雨、雨、微雨、雨、雨の日和が続いて気温は低温傾向になった。
そして、三十一日は各地で霜が降りるほどの低温になった。やむなく田植えは例年に遅れた・・・。
6月上旬から7月上旬にかけて一転して近年にないほうどの高温続きとなった・・・・。
7月中旬になったころ、成長期の稲は最悪の、雨をともなった冷たい北東の風(ヤマセ)が吹き出した・・・。
冷気流の勢力が強くなった。
7月10日以降の天気は、雨、雨、雨・・・・・26日まで雨。
ようやく晴れ間が覗いたと思うと、その後もまた雨、雨、雨・・・・・・。
8月8日まで続き、9日、10日になって、やっと二日続きの天気であった。
そのため日照時間は平年に比べ1日平均3.23時間も少なく、綿入りの着物を着なければならにほどの冷えびえとした中で、稲の出穂、開花、成熟の時期が過ぎていった。
加えて、ついに稲の天敵であるイモチ(稲熱病)が大発生し、稲の生育はほぼ絶望的な状況に至った・・。
8月29日から降り出した雨は、9月12日まで、実に15日間も間断なく降り続き、ちょっと小止みになったと思うと、17日から、さらに8日間もの雨降りとなった・・・。
冷気流とやませによる最悪の気象条件を示した・・・・。」
これを読む限り、異常な気象状況だったことがわかるし、黄砂が多かったことも書かれていた。

この時期の稲の米統計表があったので見ていた。
昭和7年農林水産大臣官房統計課、昭和6年米統計表によると。
昭和6年の青森県の凶作率は、昭和4年115万6732石、昭和5年130万5433石、昭和6年66万4389石で4年と5年平均との比較は、-56万6693石で46.0%の減収となり、東北一となった。
青森県内の収穫は約半分しかないことが分かる。
他県は、秋田県18.8%、岩手県11.5%、山形県11.3%、福島県7.9%、宮城県6.3%。
昭和10年農林水産大臣官房統計課、昭和9年米統計表によると。
昭和9年での凶作率は、昭和4年から8年の平均生産高は111万6356石、昭和9年の生産高は59万8413石で前5ヵ年平均との増減比較は-51万7941石で46.4%の減収となり、東北で二番目となった。
岩手県が54.5%で東北一となり、山形県45.9%、宮城県38.3%、福島県33.4%、秋田県25.6%でこの年の凶作は異常だったことがわかる。
被害は、これだけではなく雑穀のほうが平年と比べ51%強もあり、被害が大きかったとか。
また、世界恐慌のあおりから農作物の価格が下落し、農産物総生産高は大正8年を100としてみると、昭和6年は21.8%まで落ち込んでいたいう。
この統計表からみても、昭和6年と昭和9年の凶作がいかに凄かったのか良く分かった。
つまり、一町歩ある田んぼから半分しか米が取れなかったということだ。
が、一番ヤマセの影響を受けた太平洋側の農村はもっとひどく半分以下だったようだ。
また、さらに農民を悩ませたのは、地主様と小作農民の「小作制度」である。
凶作により、収穫が半分しかない米を、さらに、その半分を地主様に取られたとか・・・。
結局、農民には借金ばかり増え、食べる余力さえなくなったしまったようだ・・・。
また、この「小作人制度」によって満州事変や満州移民という影を潜めているようだ・・・。

では、「小作人制度」ってなんなのか?
これは、次回ということで。
それにしても、昭和初期に起こった「東北の大凶作」って創造を超えてしまい、今の世界では創造もつけないようなことが起こっていたんだよなぁ~と。
はたしてヤマセだけの気象状況だったのだろうか?
と、日記には書いておこう。



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